いつかみんな自分を嫌いになる、と思っていた
自分は劣等感の塊で、昔から自分を認めることが出来なかった。
だから、恋愛でも友人関係でも、いつかみんな自分の元を離れていくんだ、と思っていた。そして離れていった。
いや、正確には離れていくように望んで振る舞っていた。そして自分は「ほらね、やっぱり」と思っていた。試していたのかな。なんなそんな記憶はある。
好きだ、本当は人が好きなんだ。でも嫌われるのが怖いから好かれないように振る舞う。
でも、周りの人達はみんな知っていた。自分がそんな人間ではないことを。人が好きで人を喜ばせることが好きな自分を。周りの人達は初めから知っていたんだ。
知らなかった、気付いてなかったのは自分だけ(^_^;)
もう認めよう、人に優しくしても良いし、時には素直に向かい合ったって良い。
知ってるんだ、どうせ隠してもみんな知ってるんだ(笑)
ありのままの自分、どんな自分も全部自分。
アイラブ自分(*´-`)
これで良いのだ!
心屋仁之助さんのブログ
執着を手放す、新しい方法
■執着を手放す、新しい方法|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba
自分はこのブログを読んで、あぁ自分は片方だけを手に入れようとしてきたのだなと気付いた。
このブログの中にある、「片方だけは手に入らない」ということ。
確かに手のひらを手に入れたければ、ゴツゴツした手の甲ももれなくついてくる。
当たり前(笑)
お金への執着から離れようと思えば、貧乏を受け入れる。執着から離れたいけれど貧乏は受け入れない、は無理。両方受け入れる。
自分のことをふと考えてみると、真面目じゃなきゃいけない、モテないといけない、貧乏は嫌だ、などなどまだまだ執着の固まりだらけ。醜いもの。
でも今は、ポジティブじゃなきゃいけない、ポジティブじゃなきゃかっこよくない、ポジティブじゃなきゃ人気者になれない、こんな気持ちを捨てられそう♪♪
ネガティブは良くないからポジティブになろうと努力(思い込ませ)してきた。辛かった。無理やりポジティブなんで、心を引き裂くようで。
ネガティブもポジティブも良いんだ!だってどちらも自分だからね(^^)v
なんだからスッキリしない、モヤモヤする。これはきっといつかスカッと青空のように晴れる日がくるはず。
そう思っていた。
違う。モヤモヤした自分を受け入れたら良いし、納得してない自分をそのまま受け入れたら良い。
手放すとは受け入れること。こうじゃなきゃいけないっていう執着を手放して、いろんな自分を受け入れてみる。カッコ悪くても醜くても、優柔不断でも大丈夫!
全部自分だもん☆
ありがとう、すべてにありがとう。
みんな傍にいて良いよ。
ありがとう。
「条件」を捨てる
昨日昔付き合っていた人と久しぶりに連絡を取ることがあってしばらくやり取りをしていた。
向こうは結婚をして幸せに暮らしている。自分は独身。もちろん幸せであることを心から祝福しているし、これからも益々幸せであって欲しいと思う。
ふと、思えば、自分は常に「条件」で相手を見てきた。恋愛に関わらず。そして、目の前にあるものを大切に出来なかった。
後悔はしていない。それはその時に自分なりに選択して決めてきたから。
ただ、もう許してあげても良いのかなと思う。自分を。相手を傷付けてきたし、自分も充分に傷付いてきた。
もう許してあげよう。そろそろ「条件」を手放してありのままを受け止めて楽しもう。
一事が万事。恋愛や結婚だけではない。今まで拒んできたことも素直に受け止めよう。大丈夫、今までもやってこられたし、これからもやっていける。
自分は常に自分の味方。どうあったって常に一緒。
さようなら、今まで自分を縛り付けてきた数々の「条件」。そしてありがとう、今まで自分を守ってきてくれた数々の「条件」。
ありがとう。
人を利するということ
僕はお坊さんです。30代。
今日、電話で連絡が取れない檀家さんのお宅に伺ってみたら留守。恐らく施設に入られたよう。
借家にお住まいで、見たところあまり裕福な生活を送られていたようでは無く、お一人でお住まいでお寂しい思いをされていたのではないかと推察する。
もっとお坊さんがお寺の外に出て活動できるようにならないと。何年も前から言われていることだけれど、出来ていない自分。
もっともっと人の心を救いたい。何が出来るのか、もっともっと考えて、動いて、ハマって、もがいて。
維摩経というお経に出てくる、維摩居士という人物の病は生きとし生けるものの病を思うが故に自分も病に苦しんでいるのだと。
ここでいう病は煩悩からくるもの。
激しく共感してしまう。でも、自分は患ってなどいられない。一歩一歩進んでいく。
日々感謝☆