「条件」を捨てる
昨日昔付き合っていた人と久しぶりに連絡を取ることがあってしばらくやり取りをしていた。
向こうは結婚をして幸せに暮らしている。自分は独身。もちろん幸せであることを心から祝福しているし、これからも益々幸せであって欲しいと思う。
ふと、思えば、自分は常に「条件」で相手を見てきた。恋愛に関わらず。そして、目の前にあるものを大切に出来なかった。
後悔はしていない。それはその時に自分なりに選択して決めてきたから。
ただ、もう許してあげても良いのかなと思う。自分を。相手を傷付けてきたし、自分も充分に傷付いてきた。
もう許してあげよう。そろそろ「条件」を手放してありのままを受け止めて楽しもう。
一事が万事。恋愛や結婚だけではない。今まで拒んできたことも素直に受け止めよう。大丈夫、今までもやってこられたし、これからもやっていける。
自分は常に自分の味方。どうあったって常に一緒。
さようなら、今まで自分を縛り付けてきた数々の「条件」。そしてありがとう、今まで自分を守ってきてくれた数々の「条件」。
ありがとう。
人を利するということ
僕はお坊さんです。30代。
今日、電話で連絡が取れない檀家さんのお宅に伺ってみたら留守。恐らく施設に入られたよう。
借家にお住まいで、見たところあまり裕福な生活を送られていたようでは無く、お一人でお住まいでお寂しい思いをされていたのではないかと推察する。
もっとお坊さんがお寺の外に出て活動できるようにならないと。何年も前から言われていることだけれど、出来ていない自分。
もっともっと人の心を救いたい。何が出来るのか、もっともっと考えて、動いて、ハマって、もがいて。
維摩経というお経に出てくる、維摩居士という人物の病は生きとし生けるものの病を思うが故に自分も病に苦しんでいるのだと。
ここでいう病は煩悩からくるもの。
激しく共感してしまう。でも、自分は患ってなどいられない。一歩一歩進んでいく。
日々感謝☆