すべては「縁」で繋がっている
自分が良いと思うことも、自分が悪いと思うこともすべて一過性のもの
刻一刻と変化し続けている
(詳しくはググってね 笑)
つまりはいろんな縁が働いて「今」があるし、その「今」さえも常に変化し続けているということ
今この一瞬の自分の都合に合った幸せを求めていると、それはとても不安定で不確かなものを追い続けることになる
「今」の自分にとって都合の良いと「思う」ことも、都合の悪いと「思う」こともすべて「縁」が働いて変化し続けているんだなということを理解していると、「今」にとらわれないのでとっても楽ちん
楽ちんなので心が穏やか
心が穏やだと幸せ
あ、幸せだ
皆さん良い一日を♪ヽ(´▽`)/ラブ
びーふおわちきんのはなし
結局はビーフを食べてもチキンを食べても腹に入りゃいっしょなんです。
なのに、自分はビーフを食べたからこうなってしまったんではないかとか、自分はあの時チキンを食べたからこうなってしまったんではないかとか考えて悩む。
いや、腹に入りゃ一緒ですよ。なんなら出るときゃ一緒(笑)
要は単に、結果は一緒なんだけど、ただ食べる前にビーフの気分なのかチキンの気分なのかだけのこと。
あぁ、やっぱりビーフを食べておけば良かったとか、やっぱりチキンを食べておけば良かったとか、意味ないね。
お好きなのをどうぞ♪♪
Beef or Chicken??
やめない
昔好きだった曲の歌詞で、「もうやめたい 終わらせたい でも信じたいからここまで付いて来たんだろ」って歌詞があって、良くなんとなーくやめる訳にはいかないから面白くないけれど続けるかぁって生きてきた(笑)
今33歳、相変わらず冷めたところ(いや、これは覚めているのか!)はあるけど、一つ一つを楽しむように、味わうようにしている☆
ある時に人に話したことがある。「例えば、焼き肉食べながら寿司のことを考えても、それは無いものを考えているんですよ」「焼き肉食べてる時は焼き肉のことを考えてないと、無いものを考えるなんて無駄じゃないですか!」と。
つまり、今「ある」ものを考えずに、今「ない」ものを考える程効率の悪いことはないと。
つまりつまり、今目の前にある一瞬一瞬を味わわないと、ずっと満たされないってこと(*/□\*)
今、楽しんでますか??
「式」を間違っている
食べるから太る
ほんとに?!
「式」を分解してみよう!
「食べる」と「太る」
まぁ、「食べる」は普通の動詞で、行為。
「食べる」から◯◯という式になるよね。
例えば、「食べる」から満足する!「食べる」から元気になる!
これ良いね♪
じゃぁ、「食べる」から「太る」って合ってる??
「太る」を逆算すると、「動かない」から「太る」じゃない??
食い物のせいにするなー!!笑
と、まぁ、私たちは幸せの方程式も間違ってることが多々ある訳ですよ!Σ( ̄□ ̄;)
一生懸命働くから、人一倍努力するから、自分を捨てて頑張るから、「幸せ」になるの??
時々「式」の間違いチェックしないとねー☆
みんな生まれた時点で幸せ(* ̄∇ ̄)ノ
見たくない、自分の姿が、ほんとだよ♪♪
まぁ、見たくない、認めたくない自分という奴は時々出てくるものでして。
抑え込んでも、クリアしたと思っても、もぐら叩きのように出てくる出てくる、あちらこちらから(笑)
認める。
まぁそんな醜い(と自分が思ってる)自分もあるわなぁ。
見る。見ちゃう。どんどん見ちゃう。
で、見慣れてくるとそうでもなくなる。
「あぁ、来る、来るかもしれないぃぃぃ!恐い恐いぃぃぃ!ほらやっぱり来たじゃんかぁぁぁ!」
それ、自分で呼んでまっせ(笑)
ってなことで、認めてあげると、そんなに恐くないし、まぁそんなもんかと思うもの(*´∀`)
むしろ認めてあげないと、認めてよー!!!ってやってくる!Σ( ̄□ ̄;)
いじめっこみたいだねん♪♪
happy大好き*
休むことが悪いことだという罪悪感を捨てる
真面目な人程、休むことを悪いことだと認識して頑張る。
人一倍頑張る。人が休んでいる時も頑張る。
結果、病気になる。
休むことが悪いことだと言う不安や罪悪感を捨てよう。
休みは必要です☆
祖母が亡くなって思うこと。
先日父方の祖母が亡くなった。葬儀も無事終わり、あれやこれと後の事がある。
そんな中、うちの父の事を身内があれやこれやと言う。
実際それは自分が昔から聞かされていたことだし、自分も父に対して思ってきたこと。
ただ、今はもう自分は一切合切含めて、父という存在を認めれている。一時は消し去りたいとも、放り出したいとも思ったことがある。実際に行動に移して、追い込んだこともある。
結局は無理だった。物理的にというより、自分の気持ちとして無理だった。自分の親ですからね(笑)
そうして、今度は長年否定してきた父を自分自身が受け入れて認めていくという作業を重ねる。
まぁすべてかどうかは分からないけれど、自分と違う父を認めて受け入れられるようになった。そして自分の苦しみも消えた。全く。無かったように。
そんな今、身内の父への批判を聞いていると、「あぁ、自分が父に対して昔から(実はそんなに昔ではない)思ってきた不満は、自分の持っていたものではなくて、周りが父に対して思っていた不満だったんだ」と気付く。くそー、どいつもこいつも自分になすりつけやがって(笑)
まだ周りの人達は父に対して求めているのか。認めてやれよ、もう。いいじゃん、自分だって完璧じゃないんだし。
誰かに求めていませんか?自分自身への不満。甘えだよそれは。
もっともっと、みんながみんなを認め合って、各々の苦しみから、自分できちんと救われますように☆
お父さん、お母さん、お祖母ちゃん、お祖父ちゃん、みんなみんな、ありがとう(*´ω`*)自分は幸せだよ♪♪